毎日10万食のカレーを無料で配るインドの「黄金寺院」は、平等と人々の信じる心で守られた食堂だった

インドとパキスタンの国境の近くにある「アムリトサル」という町は、インドの左上に位置し他のエリアと比べて少し特徴のある場所です。カースト制度に捉われず、身分・性別・宗教など関係なく、平等にやっていける社会を目指す「シク教徒の聖地」と呼ばれています。「黄金寺院」と呼ばれる場所では24時間無料で10万食の食事(もちろんカレー)とチャイを提供しています。ここを訪れる人の身分は全て平等なので、食事は全員同じ場所で一緒に座って食べます。

実はこのお寺は数年前に、ドキュメンタリー映画「聖者たちの食卓」を撮影された場所としても知られています。内容は、ボランティアたちが作業を進める様子を撮ったもので、ナレーションもBGMもありません。それをたまたま日本で見た私は、忘れられず現地に行って見てくるべきだと感じてインドに向かいました。

世界でも新しい宗教・シク教

インドにおけるシク教の割合は2%程ですが、世界で5番目に人数の多い宗教といわれています。男性はターバンを着用し、手には剣を持ち、長い髭をたくわえているのも特徴的で、私たちがインド人を想像した通りの見た目なのですが、実はインド国内の他の地域ではターバンを巻く人はほとんど見かけません。

そんな彼らの総本山の黄金寺院は、その名の通り金で作られていて、何と450kgもの金箔をまとっているそうです! お寺に入る入り口は4方向で、これもシク教の教え「人間は生まれながらに平等」に通じています。まさに神聖な黄金の輝きを放ち、教徒でなくてもその美しさに魅了されてしまいます。

黄金寺院では、食材・調理・提供・清掃全て毎日有志がやっていて、インド全土から「神様の役に立てるなら」と仕事を休んでまで訪れる人も多いです。お寺に来てカレーを食べたら帰りに数枚お皿を洗うもよし、1時間野菜を切っていくのもよし、疲れたらチャイを飲んで休憩。美しいお寺を眺めて、祈り、お腹が空いたら感謝してカレーを食べる。そうやってみんな過ごしてきたといいます。

私も2週間通い詰めてシク教の人たちに混ざり、カレーの野菜を1日8時間程切り続けていた体験をお話しします。

お寺にやってくるお腹を空かせた誰かのために

朝9時頃、食堂の出入り口付近の一角に、どこからともなく麻の袋に詰め込まれたニンニクが大量に運び込まれてきました。特に誰が仕切る訳でもなく、その場にいる人が数人ずつのグループになって皮を剥く作業に取り掛かります。

これは全て次の日の仕込みです。私も「手伝いたいです」と思いを込めて、近くにいた渋いおじいさんにアイコンタクトをすると、大きく頷いてその辺からナイフを1本持ってきてくれました。

子どもも大人も関係なく、黙々とニンニクの皮を4時間程剥き続け、手元のニンニクの臭いが取れなくなった頃に次の野菜へ。用意するのは、何せ10万食です。全て切り終わる頃には夜9時を過ぎていました。

懐の深い、シク教のカレーの作り方

カレーに使う具材は人参、じゃがいも、玉ねぎ、さやえんどう、にんにく、生姜など寄付された食材によって変わります。ここ最近のメニューはじゃがいもカレー。80人くらいで切っているのにじゃがいもだけで数時間かかりました。

しかし料理のプロたちが切っているわけでもなく、ノルマがあるわけでもなく、切り方を細かく言われるわけでもありません。自分のペースで、好きな体勢で、好きな場所で作業をしていいのです。

▲チャイが出てくる蛇口。手前のチャイおじさんが自由自在に1杯ずつチャイの量を調節します。

飽きたら途中で帰ってもいいし、何時に来てもいいし、ボーっとして休憩してからまた再開しても全部OK。髪を覆って、靴を脱いで、足を清めれば異教徒も観光客もお寺の中に入ってもOK。それでもお布施や巡礼者の寄付、毎日300人程のボランティアのおかげでここは成り立っている、と聞きました。

楽しいことが大好きでお茶目なインド人のみなさん

無料の食堂に来る観光客はいても、連日やって来て野菜を1日中切っていく外国人が珍しいようです。10人くらいのインド人に取り囲まれて見守られながら作業するのも慣れてくるもので、毎日顔を合わせると覚えてくれて、インド恒例のセルフィー大撮影会になります。

なぜか「うちの子を抱いて写真を撮って!」「うちの子も!」という要望が多く、次々と知らない赤ん坊が腕の中にやってきて、両脇と足の間に人の子どもを抱えてポーズ、という変わった撮影会をしました。

そして私が訪れたその日は、シク教の創始者グル・ナーナクの誕生日でした。眩しいくらいに輝きを放つ黄金寺院は四方を池で囲まれ、この夜だけ周りを数えきれないくらいのロウソクに火が灯し、ナーナクの誕生を祝います。

祈りの歌が一晩中響き渡る中、ゆったり時間が流れているのを感じました。世界中からやってくる巡礼者は美しい寺院をただ眺め、祈り、神様の近くにいたいとその場で寝転んで夜を明かす人もいます。私もその場で夜を明かし、黄金寺院の何ともいえない居心地の良い不思議な魅力に、すっかりハマってしまいました。

黄金寺院で教わった、自分が信じたものに寄り添う心

毎日作られているこのじゃがいもカレー。シンプルですがスパイスが利いていてとてもおいしかったです。平べったい形のチャパティという薄焼きパンと一緒に食べると、より食が進みます。

おいしさを感じる感覚は、食事を取る環境も関係があるといいます。毎日大勢のボランティアの人たちの姿を見ていると、食べ物を大切に食べようという感謝の気持ちを忘れないようにしたいという気持ちが強く芽生えていきました。

他国の神聖な場所を訪れる時、私はその建物そのものよりも信仰している人たちを見て、そこがどれだけ大切な場所かを感じることが多いです。同じ国内で起こる宗教の対立も少なく、便利な生活に慣れている国から来た私は、おたま1杯分のカレーから、インド人にとっても生活に欠かせない神様を信じる心や自分の国の文化、今ある生活をもっと大切にしようと教わりました。

シク教では身分関係なく人は平等です。お寺に巡礼に来る人のお腹をいっぱいにしてあげたいという思いから始まった無料食堂では、その創始者の思いを繋ぐために、「役に立ちたい。少しでも近くにいたい」というシク教の人たちの思いが垣間見えた体験でした。

その後数週間、手元に染み付いたニンニク臭で眠れない夜に悩まされる、という旅の思い出付きでした。

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