ちまきに柏餅、5月5日「こどもの日」に食べたい行事食の歴史

日本の祝日の中でも「子ども」に焦点を当てた記念日として知られている5月5日の「こどもの日」。ちまきや柏餅など縁起物を食べる風習が昔から続いていますが、その由来には子どもを、そして家族を想う人の心があります。ゴールデンウィークという認識だけではない、こどもの日の歴史についてお届けします。

■こどもの日とは?
1948年7月20日の祝日法により制定された「こどもの日」の定義は、“こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する”(祝日法2条より)というもの。古来より端午の節句として知られていた5月5日の歴史は大変古く、端午の節句=邪気を祓う行事のひとつとして知られていました。史実上でも端午の節句が男の子の成長を祝う厄祓いの行事として認識されたのは鎌倉時代以降といわれており、鯉のぼりを飾ったり、ちまきや柏餅を食べる習慣が登場したのは江戸時代からとされています。
今も引き継がれているこどもの日の行事は、時代背景から少しずつ様変わりをしましたが、根本にあるものは「こどもの幸せ」です。親心は時代を越えても変わらないものですね。

■ちまきや柏餅はラッキーアイテム?
今では当たり前となった「こどもの日(端午の節句)」に食べるちまきや柏餅を食べる習慣ですが、その出どころはそれぞれ異なります。
【柏餅】
日本独自の風習としてスタートした柏餅は、柏の木は新しい葉が生えるまで古い葉をつけたままでいることから「子を絶やさず子孫につなげる演技の良い木」として、武士階級に重宝されていました。一般的に、柏葉の表を内側に包むのが「こし餡」、面を外側に包むのが「みそ餡」とされ、今日では関東圏で多く食べられる縁起菓子です。
【ちまき】
中国から伝わったちまきの起源は、その昔、中国・楚国の詩人の死を供養するためのものが始まりだったと言われ、今日でも端午の節句にちまきを食べる習慣が残りました。日本へ奈良時代に伝わり、平安時代には宮中行事として5月5日に用いられ、そのまま引き継がれています。柏餅が関東を中心に食べられているのに対し、ちまきは関西圏で食べられています。

歴史上の5月5日は、奈良時代まで「ちまき」が食べられていましたが、子孫繁栄や縁起の良さを意味する柏餅を江戸の武家社会が取り入れたことから、関東圏では「柏餅」、関西圏では伝統や歴史を重んじた「ちまき」が主流になったとされています。

長い歴史を持つからこそ見えてくる5月5日のこどもの日。その意味や由来を考えながら、家族で柏餅やちまきを食べて家族の幸せを願ってみてくださいね。

参考:
【電子政府の総合窓口】
【食育大事典】

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